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美談と現実

クリスマスの歌と言えば、『きよしこの夜』が代表曲のひとつやな。
この歌のオリジナルは1818年にオーストリアのザルツブルグの教会でクリスマス・イブに歌うために『賛美歌109番』として作られたんやそうな。
当時、賛美歌の伴奏はオルガンが主流やったんやけど、この曲のメロディーはギター伴奏曲として書かれた。
それには、ひとつの有名なエピソードが伝えられてる。

クリスマスを前に突然教会のオルガンが壊れてしもたんやて。
クリスマスイブの前日に教会から依頼を受けた作曲者のフランツ・クサヴァー・グルーバーさんが、提示された歌詞に急遽ギター伴奏を想定したメロディーを付けたんやて。
彼は一晩かかって作曲に専念し、そのメロディーが完成したのは教会での演奏本番のギリギリ数時間前やったそうな。
そして、1818年12月24日にこの『きよしこの夜』の原曲『Stille Nacht』は無事に初演を迎えたんやそうな。
(初演を1818年12月25日とする文献もあり。)

なんともステキなクリスマス話やなぁ(^_^)

・・・が、
この、オルガンが壊れて・・・云々、っちゅう話は、後で作られた、っちゅう説もあるねん。
このオルガン・エピソードは、なんと1965年にアメリカ合衆国で出版された本に初めて登場する話なんやてなぁ。。。
グルーバーさんが短期間でこのメロディーを書き上げたんは、どうやら事実らしいけど、
それをディフォルメしたのがこのオルガン・エピソードなんかなぁ。

ハワイの歌にもあるな、こういうのん。
『Aloha `Oe』っちゅう歌。
あたしが一番好きなハワイの歌や。
この歌についてのエピソードにも美談がくっついてる。

ハワイ王国の最後の女王のリディア・リリウオカラニによって、ラブ・ソングの体裁で作られたこの歌は、実は、自分の国『ハワイ王国』がなくなってしまう時、愛するハワイ王国、愛するハワイ王国の国民に想いを馳せて作られた。
そして、この歌の歌詞の最後の部分『Until we'll meet again』には、
「いつの日かハワイ王国の再興を」
という裏の意味が込められている。

・・・が、
実際には、この歌の歌詞が作られたのは、リリウオカラニが女王になるずっと前のことで、先王である兄カヴィカ・カラーカウアも健在。
兄王の急死によって、急遽自分が女王になることは予想されていなかったはずや。
もちろん、当時からハワイ王国は白人勢力が台頭し、兄王はそのことで政治的に苦慮を強いられていたことは彼女も知っていたやろけどな。
それでも、まだその時期に、なくなってしまうハワイ王国への思い・・・なんちゅう歌を作るのはおかしいやんな。
(メロディー自体もリリウオカラニの作曲ではなく、既存のふたつの曲を合体させたものや。)

つまり、
この歌は、もともとは政治的メッセージ・ソングとしてではなく、純粋なラブ・ソングとして作られた、と考えてええんちゃうかな。
もちろん、その後ハワイ王国との離別の時に、女王はこの歌に自分の心を重ね合わせていたかもしれへんし、あるいは、もしかしたらその時にリメイクされてるかもしれんな。
(実際に楽譜として出版されたんはハワイ王国崩壊後の1895年やし。)
でも、あたしは、ラブ・ソングとしてのこの歌が大好きや。

歌の世界とはちゃうけど、微妙に音楽関係で・・・ラッパ。
戦前の日本の教科書に載ってた、これも有名な美談。

「木口小平は死んでもラッパを口から離しませんでした。」

日清戦争にラッパ手として従軍していた木口小平は、戦場で突撃の時、突撃合図のラッパを吹き続け、ついに敵弾に当って戦死。
でも、彼はラッパを口につけたまま死んではったんやて。
このことは戦場の美談として伝えられ、教科書にも載せられてん。
(ラッパ手っちゅうのんは、たとえば突撃の時なんかに、合図としてラッパを吹く役割の兵隊さん。)

後の検証によると、木口小平は、根性でラッパを口から離さへんかったとちごて、死後硬直のせい、とか、即死で離すヒマがなかった、とか言われてる。
(ちなみに、『木口小平』として伝えられてる人は、ほんまは『白神源次郎』っちゅう人やて。)

美談も聞くにはステキな話やし、一概に切り捨てることはないとは思うけど、
往々にしてなんらかのプロパガンダに利用されることがあるもんや(^_^)

また、現実は・・・とされてる話の中にもまたいろんな説がある場合もあるしね(^_-)-☆
真実って、ほんま分かりにくいとこにあるのかも。

テーマ : 音楽のある生活 - ジャンル : 音楽

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