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カラオケな話♪

うちの近所のカラオケのお店。

カラオケ カラオケ

カラオケが一般に広がったのは1970年代やそうな。
あたしがカラオケなるものに遭遇したのんは1970年代後半で、もっぱらスナックやバーで供されてた。
昔はカラオケ・ボックスなんてなかった。
そやし、未成年はあかんかったわけや(^_-)-☆

その当時は、1曲歌うのに500円とか、高いお店では1000円とかのチャージを払ってたな。
んで、今のんみたいに、モニター画面なんてないし、キィやテンポも変えられへん。
横長の『歌詞本(歌本)』ちゅうもんがあって、それを見ながら歌うねん。
ステージなんかもなくて、カウンターに座ったままでの熱唱や。

のちに、『キィとテンポを変えられる』っちゅうのんも見かけるようになって、
スナックのママさんが、
「うちのんは最新式よぉ(^^)/」
って自慢したりしてはったけど、
初期のんは、
『キィを上げるとテンポも連動して早くなる、下げると遅くなる』
みたいなシロモンやった(笑)

そんな時代の話。
あたしが公然と酒が飲める年になると、父親(故人)が馴染みのスナックなんかに連れて行ってくれた。

父親は、音楽には興味がない仕事一筋の頑固モンのクリスチャンで、家では讃美歌以外の歌は歌うことがなかった。
んで、あたしがギターを覚えてフォークソングを歌うようになると、いつも渋い顔をしてたもんや。
あたしが、フォークソングのコンテストなんかで賞を取ってきたりしても、
「そんなもん、スポンサーの商売に利用されとるだけや。」
って、そっけなかった。

ところが、
スナックへ行くと様相が変わった。
普段はメッチャ厳格で軍隊式(海軍出身)の父親やのに、
そういうお店で、お酒が入ると息子自慢が始まるねん。。。
それが、あたしとしてはメッチャ恥ずかしかった(>_<)

「なぁ、ママ。わしの息子や。」
「まぁ、立派な息子さんやないのぉ。」
「こいつな、英語できるねんでぇ。アメリカも行っとってん。それからなぁ、フおーク(フォークのこと)もやっとるねん。」
「ほんま?ほなテネシー・ワルツとか歌えはる?」

そこで、カラオケの登場や。

ママさんが、大きな箱みたいな8トラック・カセットをガチャンとこれまた大きな音をたてて機械に押し込む。
歌詞本のページをめくって、テネシー・ワルツのところを開いて渡してくれはる。
その当時のカラオケでは、数少ない英語曲のうちのひとつや。

「あ・・・歌詞本はいりませんし(^_^;)」
「あらぁ、歌詞覚えてはるのん!すごいわぁ!」
そして、父親のドヤ顔。。。

歌った。

「まぁ!ステキやわぁ!うちでこの歌、ちゃんと歌ったんあなたが初めてよ♪」
「はぁ・・・そうですかぁ。恐縮ですぅ。。。(^_^;)ゞ」
そして、父親のドヤドヤ顔。。。

「社長さん(父親のこと)も一曲どないですか?」
「よっしゃ♪ほな、いつもの曲、入れてくれぃ(^^)/」

え・・・ウソやんΣ(・ω・ノ)ノ!
オヤジ・・・讃美歌以外に歌える歌あるんかぁ?!

「わかぁれぇ~るぅ~こぉ~とぉはぁ、つらいぃけぇどぉ~~~♪」
千昌夫さんの星影のワルツを、とてつもなくデカい声でガナりはじめた。
カラオケのスピーカーが音割れしてるし。
音程もリズムもメチャクチャやし。
カラオケ終わっても、まだ歌続いてるし。
カラオケの伴奏を見事なくらい無視してるし。
なんのためのカラオケや。。。

歌い終わった。。。

「さすがぁ!社長さん、シビれるわぁ(^0^)」
・・・と、ママさんの営業トーク(笑)
そして、父親のドヤドヤドヤ顔。。。

そして、ご機嫌で飲みまくる父親。。。

そして、そして、そして・・・
「もう一軒行こかぁ~~~\(^o^)/」
「いや、もぉええて(^_^;)」
「あのな、祇園のな、あのな、ええ店あるねん(^^)/」
「ええて・・・帰るで( ̄^ ̄)」

父親のはしご酒を阻止して、タクシーで連れて帰るのであった(^_^;)

テーマ : 音楽のある生活 - ジャンル : 音楽

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