ま~さんの地元話/84メートルって!!!

うちの地元、京都の街。
その昔、都があって政(まつりごと)が行われてたところ。
後世に平安時代と呼ばれることになった時代のことや。
今から1000年±200年くらい前の昔や。
(明治2年の東京遷都までは京都が日本の首都やったんやけど、鎌倉時代が始まった時点で実際の首都機能はなくなってしもてる。)
そこには、かつて『大内裏(だいだいり)』と呼ばれる宮城があった。
そして、その南門のひとつである『朱雀門(すざくもん、しゅじゃくもん)』を起点に、都の南端の門である『羅生門(らじょうもん、らせいもん)』まで『朱雀大路』という道幅84メートルの超弩級大通りがあって、たいそう賑わってたそうな。
しかし、幅84メートル道路って・・・スゴイな。
その時代に側溝も備えてあったんやて。
その後、鎌倉時代、室町時代、安土桃山時代、江戸時代、そして明治以降の近代を経て、宮城はおろか、その当時の街の姿は今はない。
でも、街区(条坊制)や地名にその名残りがある。
また、街の各所にその場所の歴史解説のプレートが設置してある。
昔は石碑やったのんが、今は分かりやすい図説入りのプレートなんやな。
上の写真は『千本通り』っちゅう通りや。
かつての『朱雀大路』やったとこ。
『朱雀門』があった場所から南、つまり『羅生門』があった方向にシャッターを切った。
今の『千本通り』は、場所によって違うけど、だいたい道幅約20メートルあまり。
なんと、この4倍の幅員の道がここにあったんや!!!
ホンマ、賑わってたんやろなぁ。。。
お店が軒を連ね、物売り人や牛車(ぎっしゃ)が行き交い・・・平安京の人々の営みがあったんや。
今では京都市の賑わいの中心は東の方へ移り、南北の主幹通りは『烏丸(からすま)通り』、繁華街は『河原町(かわらまち)』や『祇園(ぎおん)さん』あたりやけどな。
子供の頃には、自分が遊んでる場所の歴史なんちゅうもんは意識したことはあんまりなかった。
でも、今、自分の街を意識してみると、いろんなもんが見えてくる。
そして、その当時の人々の息吹さえ感じることもある。
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