B面がええねん。(ヘイアウの話)
メインのものよりも、なぜかその傍らのサブ的な存在の方に心を惹かれることってあるやんな。
ハワイ島カバイハエ・・・あたしの大好きな場所や。
そこには、かの有名な『プッウ・コホラー(Pu`u Kohola-)』の遺跡がある。
カメハメハ大王によって作られた、っちゅうヘイアウ(神殿)や。
カバイハエの海を見下ろす丘の上に威厳をもって存在する。
さて、
その堂々とした神殿の下、丘の中腹あたり、海岸と『プッウ・コホラー』の中間あたりに、もうひとつのヘイアウがあるねん。
『マイレキニ(Mailekini)』っちゅうヘイアウや。
いわゆる観光的にもメインの『プッウ・コホラー』よりちょっと小さい。
しかも、丘の中腹なんで、目立ちにくい。
でも・・・なんか、気になる存在やねん、あたしにとっては。

『マイレキニ』から『プッウ・コホラー』を見上げた図。
手前の石組みが『マイレキニ』。
んで、調べてみると、いろいろ面白いことが昔の学者さんや宣教師さんの記録に残ってたりする。
実は、『プッウ・コホラー』より『マイレキニ』の方がずっと古い神殿やったそうな。
んで、カメハメハ大王の時代には、この『マイレキニ』が砲台として使われたこともあるそうな。
また、カメハメハ2世の時代にやってきたある宣教師さんの記録によると、『マイレキニ』の中には神像がいっぱい立っていたそうな。

現地の案内プレート
カメハメハ大王の時代よりももっと昔、このあたりではロノっていう神様が祭られてたんやて。
つまり、この『マイレキニ』はロノ神の神殿やった、ちゅう可能性があるかも。
ところで・・・
カメハメハ大王は、
「ハワイの覇権を握るという野望を成就させるためにはこの場所(丘の上)に大神殿が必要。」
との助言をカウアイのカフナ(神官)より得て、自分の祭る戦いの神、クーカッイリモクの神殿『プッウ・コホラー』を建立した。
・・・って、これ、有名な話やな。
(ちなみに、このカウアイのカフナは神官ではなく現代でいう建築家である、とする説もあるで。)
ところが、こんな記録がある。
1500年中期のロノイカマカヒキ王の時代、このあたりにすでに『プッウ・コホラー』と呼ばれるロノ神のためのヘイアウが存在してた可能性がある。
・・・っちゅうことは、もしかして、『マイレキニ』は昔の『プッウ・コホラー』と同じもの?
こんな記録もある。
16世紀には、同じ丘の上に、すでにロノ神を祭るヘイアウがあった。
そして、18世紀にカメハメハ大王によって、クーカッイリモク神のための神殿として建てなおされた。
あるいは、ロノ神のヘイアウはそのままに、その近くに新たに建てられた、とする学説もある。
そして、こんな記録もある。
もともとあった『マイレキニ』のヘイアウを見たカフナ(前述のカフナとは別人)がカメハメハ大王にこう進言したそうな。
「こんな低いところに神の住処があるのはよくない。もっと高いところに、海を広く見渡せるところに、ヘイアウを建てなさい。そうすれば海からの祝福が得られるから。」
んで、大王はその言葉を受け入れて、丘の上(今の場所)にヘイアウを建てたんやて。
また、さらにこんな記録も。
『プッウ・コホラー』の建立時に、古くて小さな『マイレキニ』が壊されずにそのまま残されたのは、
「この小さな神殿も壊さずに再利用するべきです。そうすれば、新しい神殿とともに力を発揮することでしょう。」
とのカフナ(前述のカウアイのカフナ)の進言によるもの。
それぞれの説をビシッと付き合わせると矛盾点もあるけど、
そこがまた探究心をくすぐり、おもしろかったりするもんや♪
他にもいろんなおもしろい記録があるでぇ~~~♪
B面の探求・・・おもろいな(●^o^●)
注:
ここに挙げた各記録は、あたしが勝手にいろんな記録を日本語に訳して概略的にまとめたもんで、必ずしも学説の言葉を正確に表現してるもんとちゃいますし。
そこんとこ、よろしゅm(__)m
ハワイ島カバイハエ・・・あたしの大好きな場所や。
そこには、かの有名な『プッウ・コホラー(Pu`u Kohola-)』の遺跡がある。
カメハメハ大王によって作られた、っちゅうヘイアウ(神殿)や。
カバイハエの海を見下ろす丘の上に威厳をもって存在する。
さて、
その堂々とした神殿の下、丘の中腹あたり、海岸と『プッウ・コホラー』の中間あたりに、もうひとつのヘイアウがあるねん。
『マイレキニ(Mailekini)』っちゅうヘイアウや。
いわゆる観光的にもメインの『プッウ・コホラー』よりちょっと小さい。
しかも、丘の中腹なんで、目立ちにくい。
でも・・・なんか、気になる存在やねん、あたしにとっては。

『マイレキニ』から『プッウ・コホラー』を見上げた図。
手前の石組みが『マイレキニ』。
んで、調べてみると、いろいろ面白いことが昔の学者さんや宣教師さんの記録に残ってたりする。
実は、『プッウ・コホラー』より『マイレキニ』の方がずっと古い神殿やったそうな。
んで、カメハメハ大王の時代には、この『マイレキニ』が砲台として使われたこともあるそうな。
また、カメハメハ2世の時代にやってきたある宣教師さんの記録によると、『マイレキニ』の中には神像がいっぱい立っていたそうな。

現地の案内プレート
カメハメハ大王の時代よりももっと昔、このあたりではロノっていう神様が祭られてたんやて。
つまり、この『マイレキニ』はロノ神の神殿やった、ちゅう可能性があるかも。
ところで・・・
カメハメハ大王は、
「ハワイの覇権を握るという野望を成就させるためにはこの場所(丘の上)に大神殿が必要。」
との助言をカウアイのカフナ(神官)より得て、自分の祭る戦いの神、クーカッイリモクの神殿『プッウ・コホラー』を建立した。
・・・って、これ、有名な話やな。
(ちなみに、このカウアイのカフナは神官ではなく現代でいう建築家である、とする説もあるで。)
ところが、こんな記録がある。
1500年中期のロノイカマカヒキ王の時代、このあたりにすでに『プッウ・コホラー』と呼ばれるロノ神のためのヘイアウが存在してた可能性がある。
・・・っちゅうことは、もしかして、『マイレキニ』は昔の『プッウ・コホラー』と同じもの?
こんな記録もある。
16世紀には、同じ丘の上に、すでにロノ神を祭るヘイアウがあった。
そして、18世紀にカメハメハ大王によって、クーカッイリモク神のための神殿として建てなおされた。
あるいは、ロノ神のヘイアウはそのままに、その近くに新たに建てられた、とする学説もある。
そして、こんな記録もある。
もともとあった『マイレキニ』のヘイアウを見たカフナ(前述のカフナとは別人)がカメハメハ大王にこう進言したそうな。
「こんな低いところに神の住処があるのはよくない。もっと高いところに、海を広く見渡せるところに、ヘイアウを建てなさい。そうすれば海からの祝福が得られるから。」
んで、大王はその言葉を受け入れて、丘の上(今の場所)にヘイアウを建てたんやて。
また、さらにこんな記録も。
『プッウ・コホラー』の建立時に、古くて小さな『マイレキニ』が壊されずにそのまま残されたのは、
「この小さな神殿も壊さずに再利用するべきです。そうすれば、新しい神殿とともに力を発揮することでしょう。」
とのカフナ(前述のカウアイのカフナ)の進言によるもの。
それぞれの説をビシッと付き合わせると矛盾点もあるけど、
そこがまた探究心をくすぐり、おもしろかったりするもんや♪
他にもいろんなおもしろい記録があるでぇ~~~♪
B面の探求・・・おもろいな(●^o^●)
注:
ここに挙げた各記録は、あたしが勝手にいろんな記録を日本語に訳して概略的にまとめたもんで、必ずしも学説の言葉を正確に表現してるもんとちゃいますし。
そこんとこ、よろしゅm(__)m
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